新聞。

地元紙はもちろん、その他に、いくつかの新聞を読み比べようと、試みた時期があった。けれど、もともと持続力も、経済的計画も、まったく力のないわたしであったので、いつとはなしに、中断されていった。いや、ほとんど実現していない。
けれど。今回ばかりは、やり遂げたいと切実に思っている。


どの新聞も一貫性に欠けるけれど、良心をもった記者、カメラマン、見えない立役者がいる。そのことが読み取れるような大人になってきたと思うし、世間もかなり読み取る力をもってきただろう。3.11以降の日本はとくに。


マスコミ側から言えば、もっと上手に感じとってほしい、気づいてほしい、読み取ってほしいと、はやくから読者が賢く、懐疑心を持って思慮深く判断するのを待っていたのではないかと思う。そうこうしてるうちに、間に合わずに痛めつけられて倒れてしまったマスコミ労働者だっていたと思う。


賢くなる。この言葉には少しだけ、狡さ、が含まれてる気がする。誠実に生きるため、真実に触れるため、狡く疑って一点の光をつかみ取る。それは誰かの幸せを奪い、自分がのし上がると言うことではない。つかみ取ったものは、みんなが触れられるものだと思うんだ。