韓国と朝鮮と中国とつながる。日本を救うなら。

朝鮮の人がふたり、家に逃げて来て物置にかくまった。
家中の毛布を全部かけて隠した。


母は語る。


憲兵が探しに来たけど、大声でじいちゃんに何か言って帰って行った。
家には幼い母とその兄妹たちと、身重のばあちゃん。


憲兵が去ったあと「家の中、見て行くか?なんにもねえけど。」とじいちゃんは家に招く。
子どもだった母たちは、こわくて小さくなってしまったそうだ。
ぐるりと茶の間と子どもたちを見渡したあと、朝鮮の人たちは山へ逃げて行った。



「それから、どうなったのかな・・・。」母は言う。



夕張の炭坑は、戦争が酷くなるにつれて若者は戦地に行き、
坑夫は朝鮮、韓国、中国の人たちになった。


終戦の日、たくさんの家が放火された。
彼らにいじわるした日本人の家が次々と燃えたが、じいちゃんの家は残った。
「あの家は、燃やすな。」と、ある朝鮮の人が言ったらしい。



孫の私の印象とはかけ離れたじいちゃんの姿。
「何も悪いことしてる訳でねえ。」と、
酷い目に合っている同じ目の色の人たちと仲良くしていたらしい。



傘を直す安価な仕事をして、自分たちも貧乏で、
町内ではきっと馬鹿にされてたんだろうな。
母は多くを語らない。
人の嫌がる仕事をして、なんとか生計をたてている
朝鮮の人や中国の人が身近に感じただろうし、
お金に困った彼らの傘なんかをタダで直して、
なんやかんやとつき合ってた。



今となれば、「あたりまえ」の近所付き合いも、
当時は、目を付けられる。よく公安に連れて行かれなかったな、
じいちゃんがそういう立ち場だったのかと、ドキドキする。
物を深く考えない、短気で、妻や娘に怒鳴りつける、
単純な亭主関白だと思っていた。



自由になったら、放火される程、憎まれていた私たち。
酷いことしてる、呆然とする夕張の歴史。
街中どこかさびしく、暗い陰を落としているのは、
まだ、魂がさまよっているからか。



夕張は、いのちが最優先であり、誰もが平等であると
その痛い過去から語っている。
いろんなことがあって、日本の縮図みたいなところだ。
そして、取り返しのつかない過去から、
「人間らしく生きる」権利を高らかに謳った労働者の街だ。



生まれ育ったふるさとの、残酷な歴史に落ち込みながら、
平和を語る地域として、なんとふさわしい場所だろうか、と思いもしたのだ。