核の平和利用なんて、はじめからないんだと思う。
今も昔も苦しむ人がたくさんいて、そして、未来永劫頭を抱えてつきあうことになった。過去も現在も未来もたくさんの人たちが苦しむものに、生活を守れる要素はあり得ないと思う。にこにこ笑って、生活に受け入れるなんて器用なことはできない。
わたしたちを上手に頷かせる策が何層にもはりめぐらされてきた。心理操作、情報操作、経済操作。事実が明るみになってきた今、わたしを動かすのはわたしの心だけだ。見えない相手にコマとして操作される筋合いは無い。
電気の生活が増える中、原発用語が全くわからない。飛び交う単語に、何度も「どんな意味だっけ?」と調べ直している。
ウランが採掘されるのも、運搬されるのも、すごく時間と経費がかかり、危険が伴う。
一体、石炭や石油の危険、ハイコストと何が違ったんだ。自然エネルギーが不足している?そんな事実はないだろう。原発の目的、人々の生活を支えることと、真逆だったじゃないか。