夕張と報道


 夕張の北炭新鉱ガス爆発事故を思い出しました。


 当時、危険な採掘方法と指摘され、海外から人権無視だと非難されていました。
 「山がなってる、あぶないぞ。」「ガスが出てるぞ。」現場の声があったにもかかわらず、黙認を続け、掘り進めた結果、事実上夕張を崩壊させる事故が起きました。

 坑内にガスが充満しても爆発せず、空気だけならもちろん事故にはなりません。幼かったので科学的な分析がわからないため、空気とガスがちょうど良いバランスに達した時、ガス爆発が起きると教えられました。夕張の石炭はエネルギー力が優秀すぎて、工場や鉄鋼所の機械では使いこなせなかったそうです。とても栄えた時期の夕張を、昭和天皇も視察した記録が残っています。
 ガス爆発後、坑内は燃え続け、救助隊も二次被害で帰らず、生存者の確認が不十分なまま大量の水を注入し、坑内に蓋をしました。


 石炭から石油の時代だからとか、夕張の判断が軽率だったとか、街が傾いた原因はそんなことではないと思います。
 わたしは、はっきりと、人災といいます。
 
 この事故の後から、押し入れで遊んだり、トンネルや洞窟に入ることができなくなりました。幼い遊びにあきた、と思っていましたが、やはりトラウマだろうと今は理解しています。
 父は公務員だったので、生活は維持できました。しかし、炭鉱で支えられた夕張は、閉山と共にあっという間に人がいなくなりました。音を立てて崩れゆく街、細く長いストレスが慢性的に続き、見えにくいトラウマを抱えたと思います。残された人たちは、医療も不足したまま、少ない資源と援助の暮らしが未だに続き、現在進行形で街が消滅しつつあります。「日本の縮図だ」と、学校の先生たちは語っていました。わたしはもっと正確に夕張のことをとらえ直さないと、と何度も考えました。
 いざ夕張について学ぼうとすると、頭の中がストップ。グレー色の街にサイレンが鳴り響き、泣崩れた上級生が両脇を支えられて歩く姿が、映像で浮かんできます。今でもお昼のサイレンや救急車のサイレンが鳴ると、映像が浮かび、動作が止まります。
 「今やらないと、力にはならないよ。明日はどうなるかわからないんだから。」とよくある教えが、目の前で現実になりました。一瞬のうちにたくさんの人が亡くなる体験をすると、今やらなくちゃと脅迫観念に押され、あせって今さえとらえられません。明日もあるからと気持ちに余裕を持って生きられたら、豊かな学びができたのに。せっかちな性分でしたが、生まれ持った「性格」だけでは説明できないんです。
 学ぶ意欲が止まってしまう、明日への想像力を持てない、これもトラウマではないかと思うのです。


 現在、福島をはじめ被災された人たちは、大きな悲しみや傷を飲み込んで、目の前の生活や復興に全力を注いでいます。近い将来、自己否定に苦しみ、浸食された内面の混乱や、深い傷に悩み続けるだろうことは、誰にも想像できます。大きく生活が変わらないわたしたちも、頭上に暗雲を抱えてうつむいて過ごしています。スピッツの草野さんがストレス入院した出来事で、自分たちのおかれている状況がわかった気がしませんか(本人には申し訳ないけど)。


 被災していない人はいません。声を大にして言いたいです。みんな被災者。わたしたちの問題です。

 そこからじゃないと、解決への道筋は見えてきません。


 福島原発の事実を知る人も組織もしっかり存在していて、情報は意図的に控えてるでしょうね。もう少し時間が経過したら、それは混乱を防ぐためについた「思いやりの嘘だった」と言うでしょう。そして、みんなのためだった、日本のためだったと信じて疑わず、マスコミに語る人も出てくるでしょう。
 芸能ネタになり、深刻さを軽減し、野球を持ってきて、日常を取り戻したかのように振る舞うけれど、今回はそんな簡単にいかないし、いかせたくないです。マスコミの報道が、30年近く経た夕張のそれと、全く同じ様子に何を言っていいのかわかりません。
 関係者の会見は、計画的なシナリオのものと、本当に間違えたものがあるだろうと思います。本当の責任者はまだ現れていません。この被害を記憶し、事実を伝え続けなくては消されてしまうし、入手しにくくなると思います。よくも悪くも世界の注目を浴びているから、隠しにくいことが救いになる気がします。

 被災地の中心の人たちが、気持ちを語るためには、少し離れた人たちの力が絶対に必要です。自分では語れない入り組んだ傷を吐き出すには、ひとりの力では無理。当事者だけで解決しきれないと思うのです。苦しい、とても。
 現場の声は大切と思うなら、その声を出しやすいように、出したら守れるように、守りながら実現できるように。
 簡単じゃないし、見えない痛みはなおのこと、理解者によって語られなくてはとても難しいと思います。みんな被災者です。覚悟して。

 
 個人の義援金や支援物資だけではなく、国の働きをみないと、日本不信でぐらぐらになりそうです。また、いつもの言葉ですが、あきらめずにできることをします。

 教育現場で、子育ての中で、9条のある日本で。信じたい、信じ合いたい。この国の未来も、人と人も、わたし自身も。