茨木のり子 「歳月」

 夫への一途な想いが収録された詩集「歳月」。没後に甥っ子が編集したそうです。詩のくだりに、「ひとりの人(夫)と暮らす中で、彼から恋人、夫、友人・・・すべての男性を知った・・・。」とあって、わたしは号泣しました。
 だれもが、その相手と出会い、気づかずに失ってしまう。あの入り口がそうだったのに、その時たちどまっていたら、ひと言伝えておけば今が違った・・・。笑って語れるようになるまで、時間がかかるものですよね・・・。

 自己肯定感と深く関わる異性関係。わたしが9条、平和を求めてしまうのは、自身に平和を持てていないからだと自覚しています。

歳月

歳月

 男性関係と金銭にだらしなく、自暴自棄。暴力や怒号の中で過ごすのは当たり前。美しさ、誠実さとはほど遠い生活だったと思います。
 わたしは、奪われたもの、捨ててきたもの、それは何、何故かさえ考えられず、一瞬の快で自分の存在を確認してきただけ。自分の傷は何かを見つめられないと、他人を次々と傷つけてしまう。加害と被害の連鎖。どうでもよかった。心も身体も。
 後で香山リカ氏の著書に、風俗に関わった友人や患者が、心身ともにひどく疲労すると知りました。魂の部分で疲れている、と。自己を貶めるのは、他人が思う以上に自己肯定感が低い、と指摘しています。援助交際をした少女の手記を紹介していました。彼女は現在、いろんな人の相談にのっているみたい。同じ傷を負わないように。
http://misatonakayama.blog.ocn.ne.jp/misatonakayama/2010/07/post_25a1.html

16歳だった―私の援助交際記

16歳だった―私の援助交際記


 情けない日々に混乱し、死の淵に立った時、美しい生き方をする人たちに出逢いました。子どもたちの成長や教育に熱心な親、先生、職員さんたち。自己と他者を分けすぎず明日を恐れないで笑う。
 出逢い、語り、本を読み、学ぶことで生活から築く人間らしさがあること、理性や判断力を少し身につけながら、わたしにも智への渇望があったことを意識しました。
 先生たちの教育実践を聴きながら、わたしが育てられました。子どもたちのつまずきは、わたしのものでもあったし、困難を超えていく心模様、成長する姿は、わたしが何かを乗り越えるきっかけにもなりました。子どもは未来。わたしも、未来へつながっている。

人間をとりもどす教育―音とことばをうばわれた子らと (1985年)

人間をとりもどす教育―音とことばをうばわれた子らと (1985年)

自閉症児が変わるとき―大きな心の土台をつくる (実践・障害児教育)

自閉症児が変わるとき―大きな心の土台をつくる (実践・障害児教育)

 あなたが明日を楽しみにしていると、わたしにも明日がくるみたい。
 あなたが笑いかけてくれたら、わたしはここに居ていいみたい。
 あなたをたよりに、生きている大人のわたし。


こんなたよりない大人を、子どもたちは赦しているんだ。海みたいに深くて広い。