太宰。走れメロス
 
 一度は「太宰期」が訪れる・・・気がする。高校時代や多感な時期に。彼を屈折した人とか皮肉屋とかいう、浅い表現は避けたい。「走れメロス」の内容はもちろん、当時の背景で執筆に向かった太宰の姿勢が、私の勝手な想像を膨らませ、一層忘れられない作品として、胸に残る。

 1940年「走れメロス」が雑誌「新潮」に発表される。映画界では、それに前後してディズニー映画「ピノキオ」、チャップリンの「独裁者」が公開された。日本の流行語は、”ぜいたくは敵” ”優良・多子” ”零戦”などであったらしい。


 太宰が、身のまわりの小さくない出来事にまったく触れず、小説を完成させた意図はなんだったのだろう。現実の生活は暗黒の空気が漂っていたのに、信頼、正義、友情、隣人愛を冷やかしもなく表現し、描き切っている。「疑う」「裏切る」のは「王」の行為だけで、最後は王さえ改心、明るい未来へ踏み出す。


 彼は、平和を慈しみ、美しい人間の姿を描くことで反論し、文学者としての信念を貫いたのではないか、と。あくまで私見
 折れそうでしなやかな青年。
 恋心のように、若き日の繊細な太宰と一目お逢いしたかったと思うのだ。

走れメロス (新潮文庫)

走れメロス (新潮文庫)

女生徒 (角川文庫)

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