平和 と 平和利用は 全く違う 2

俯瞰する
意味 〜「鳥の目線 高いところから 見下ろす」
   〜「より冷静で客観的 説明的に見ることができる」

アトラクションや テレビ カメラ ビデオ ゲーム あらゆる画像から
俯瞰して物を見られるようになった。
カメラで遊ぶ自分に 小さな違和感を感じていた。
言葉にしにくい 直感的な危機感だ。

カメラを持ち歩くと 撮ることにとらわれて旅行が楽しめない。
これは案外よくきく言葉で 聞き飽きてもいるけれど
とても的を得た 人間らしい感覚だとも思う。
ずっと言う人が後をたたない。それに わたしはとても安心するのだ。

俯瞰し過ぎて 降りてこられなくなり 等身大の虫の目線を忘れてしまう。
遊体離脱して 自分に戻れなくなった魂のようだ。

カメラを持って遊ぶようになり 感性が磨かれるよりも
自分を枠の外に出して 物を見る感覚が勝ち続けてる気がする。
とくにデジタルのめまぐるしさが 考える時間を許さず
思考停止じゃなく 次々思考させて疲労させた結果 投げ出しやすい環境をつくる。
じっくりと試行錯誤し 重い扉を開けた向こう側をのぞく仕事を 
めんどくさがらせて 結果的に途中で思考停止をまねいていく。
途中まで というのがくせ者なのだ。ある程度考えたから 悪くはないという
事実であるために 脱ぎ捨てにくい言い訳となり 
ある程度の心地よさを与えてくれるから そこで動かなくなる。タチが悪いのだ。


遊体離脱して 自分じゃない他者の目線に つねに立ってしまうことで
当事者意識は 損なわれていく。鳥の目線でも 虫の目線でも なくなっている。
声を発しなくてはならない時に 一瞬言いよどんでしまう癖がついた。
カメラのせいばかりじゃなく 自分の立ち場や心の存在を主張すると
やけに傷つくしっぺ返しがあるからではないか。物を言いにくくなるように 
じわじわと見えない綿を 口に入れられてるからではないか。