4月20日(土) 13時から  かでる2.7にて

やっぱり、平和が好きだ。

いまさら、きき飽きた、だろうね。

しなびた 野菜みたいに

みえるだろうね。

平和ということばが

邪魔くさく 感じるだろうね。



大声で叫んだあと 行き着く先が

ここであることも、

この言葉であることも

わかってるから、

どっと疲れたりもする。

何度も 叫ばなくちゃいけないことに

なんでだろうと、ぼんやりしたりする。



頑張らなくちゃと おもってたのが、

日常にとけ込ませる意識として

堅くならず 強くなりすぎず

ときには わざと忘れて



そう、足で踏みしめるものだったと

わかっていたことを

まるではじめて知ったかのように

振る舞わなくてはいけない空気に

くるまれて けだるい毎日になる。



思考停止どころか

考えの歯車がまわりだして

辿り着く先 休める広場さえ 見つからないで

こころも あたまも からだも

のされてしまって これ以上は 

のしイカのように もう 無理だと



瑞々しい 余分な たるみが

わたしたちの 中にあった。

それが 平和に支えられた

安らぎの 豊潤さだったと

枯れた土に なみだと 水を

そそぎながら 後悔の言葉は役に立たず

もうずっと後ろの方で 立ち止まっている。

子どもの頃に あこがれた

手にできない空想と おなじになった。



平和と 平和と 叫ぶ。

空想から 取り戻したい

かたちにできると 信じたい



となりの人が

ハンマーを持って のしてくるなんて

思っていなかった

わたしがあなたを のしてしまうなんて

考えてもみなかった



さようなら といっても

もう さようならできない

さようならを 言う相手も

その場を去ることができない。



息苦しさの中

後ろ向きに 言うなら

平和しか のこされていない。



若き力を 眠る豊潤さを掘り起して

もう一度 言うなら

今 確かに輝くものを

手に取ることが できる。



それが 平和の 小さなひと粒。 

真実であると。



わたしたちは 

今 人間らしく生きる

最後の 一瞬にいる。


崖に立たされて 暗澹たる海を目下に

今 いのち 輝く。



なにものも まとわりつかない

むきだした いのち。

永遠で最後 磨かれた 姿になれ。