虐待。

虐待は身近にある。


レイプも。


けれど。


その不快感を
日常的に語り合えたなら。


危険なコメントになっちゃうんだけど。


ここまで酷くなる前に
できることはいくらでもあった。
どこでも、誰でも言うセリフ。
全く効き目のないものになっている。
だけど繰り返して言う。



私たちが、大人になるまで、
大人になってからも、
小さな出来事を、
日々の中で語り合えたなら。



未熟だから、「間違う側になること」も
あたりまえなんだと正直になって
不快であったこと、不快にさせたこと、
苦痛であったことを、苦痛を与えたこと、
率直に語り合えたなら。



被害を受けた。
隙があったから、そうされる理由があったからではなく、
まちがってないよ、と卑屈にならずに自分に思えたり、
まわりに何も変わらなくていいと励まされたり。



加害になった。
生まれつきだ、だから繰り返してしまうのではなく、
そうじゃない自分もいると、事実を認めた上で考えたり、
まわりに弱さを認めた勇気をほめられたり。



みえない分厚い壁に遮られて聞こえない言葉。



あなたもわたしを受け入れる余分な隙間を持っている。
わたしもあなたを受け入れる余計な時間を持っている。



そのことを
忘れさせようと、忘れさせようと、
ないものだと、ないものだと、


一体誰が
何のために、消し去ろうとするのか。


そのことを
考えるのが先じゃないのか。