浦河沖 地震。

こわいな。
泊原発、大丈夫じゃないだろうって。


今日は、そば屋で店の兄ちゃんから、
気仙沼の知人の話を聴いたばかりだ。


体験談を子どもたちに語っていく、
これが一番いい、と兄ちゃんは言う。
大切なことだと。

そうだ、とわたしも答える。
しかし、と兄ちゃんは言う。

神戸を忘れてしまったように、
今回の地震を忘れてしまうんだろうか。
人間は忘れるのが早いから。

そんなことをつぶやいていた。

店をやってる以上、いろんなお客もいるし、
いろんな困難にでくわすらしい。

奥尻のことだってどう記憶されて
どう記録に残されてるんだ。

歴史に残るできごとだけど、
こころの中に、ありつづけるのは
どうなんだ。

どこかで、誰かが、覚えているさと安堵し、
考えることもゆだねたら、
結局は、自分のものにはならんね。



そば屋の、いつもは話をしない兄ちゃん。
忘れてしまう口調ではなく、
目に涙いっぱいで話し続けていたよ。
幼い子どもがいるんだ。




さっきの地震で、また、よみがえる。
浦河沖もすごい被害にあっていた。

便利さに安住して、記憶力を鍛えなくなったせい。
人間性でも、老化でもなく、いまの生活の形が
忘れて考えさせないわたしをつくる。

抗う。

丁寧に染めた糸のように 古くさくても
面倒かけながら 
忘れられぬできごとを
わたしの中で紡いでいきたい。