かえがたい想いを抱いて

       〜わたしたちが 学ぶもの〜

宮城の教職員組合で一日に何度もブログをアップし、3.11から今日まで毎日、毎日。月日がたって麻痺する私たち。忘れてはいけないと細い糸をつかみ、ぐらついて歩く。いつの間にか離れそうな時に、鋭く刺して、ここなんだよ、と連れ戻す。



2011.5.15:biog


震災後初めての新幹線から車窓を眺めて考えたこと
70日ぶりの新幹線。
車窓からの風景は、内陸側だからかいつもとあまり変わらない。
明らかに異なるのは、まだ田植えが済んでいない水田が多いこと。
山は新緑に覆われているし、空は青いまま。

あんなにたくさんの命が奪われても、内陸の風景は変わらない。
当たり前のことだが、ふしぎな感覚に襲われた。
まるで今が夢の中にあるのではないかと錯覚してしまう。
自分の心の中に強烈に焼き付き、離れない被災地の惨状。
車窓に広がる風景とのギャップの大きさに戸惑うばかりだった。

新幹線の電光が報じる。「まだ1万人弱の方々が行方不明…」
自分の身内がこんな状態だったら、私は前を向いて歩けるだろうか。
きっと「復興」ということばの「空々しさ」を感じていただろうと思う。
「頑張ろう」という言葉も残酷だが「復興」という言葉も
被災者を置き去りにしかねない残酷な言葉になり得る。

「復興」に向けて、前を向いて歩ける人は
歩かなければならない。進まなければならない。
でもどうしても下を向くしかない人もいる。悲しみに沈む人がいる。
そんな人たちを取り残してはいけないし、忘れてはならない。

「瓦礫」に「おもいで」とルビをふった短歌が
天声人語」で取り上げられていたが、とても大切な視点だと思う。

妻の実家が焼けたとき、焼け跡の炭化した木を除けると
たくさんの思い出の品が現れた。
何も知らない人から見れば「ガラクタ」でも
それらは家族から見れば貴重なものだった。

「瓦礫」の中に埋まっている「思い出」を掘り起こすのも
「復興」のための大切な作業。
自らの手で行いたいという気持ちが私にはかなしいほど分かる。
フォークリフトが焼け跡を片付ける様子を
呆然として見送っていた家族を覚えているから。

でも、片付けなければ前に進めないのも事実。
こみいった葛藤を被災者は抱えていることを理解してもらえればと思う。

自分が日常に戻り、こうして新幹線に乗っていると
被災者との心の距離がどんどん遠ざかっていくのを感じる。

人に「忘れないでください」と言っている自分の中からも
被災者への思いが消え去っていくのではないかという恐れを感じる。

「復興」へと前へ進むことが「被災者を忘れる」ことにつながらないよう
「思い」を保ち続けなければならない。
「思い」をつないでいかなければならない。

そんなことを考えながら、新幹線からの車窓を眺めていました。

(書記次長 高橋治彦)http://mykokyoso.blog86.fc2.com/blog-entry-1317.html